月岡芳年 英名二十八衆句 団七九郎兵衛 1866 Yoshitoshi/Eimei Niju hasshuku/Danshichi Kurobe/Dec.1866 #浮世絵#木版画#錦絵#ukiyoe

月岡芳年 英名二十八衆句 団七九郎兵衛 1866
Yoshitoshi/Eimei Niju hasshuku/Danshichi Kurobe/Dec.1866

英名二十八衆句(えいめいにじゅうはっしゅうく)は月岡芳年及び落合芳幾による浮世絵木版画の連作であり、それぞれが14図ずつ描いている。慶応2年(1866年)から慶応3年(1867年)にかけて刊行された。作品の大半は芝居から題材を得ており、いわゆる無惨絵の代表作である。外題は赤地の短冊枠に画題とともに記され、その左の白地の短冊枠に松尾芭蕉、大島蓼太、向井去来らの俳句が記されている。二十八衆句というのは仏教の「二十八宿」に基づいており、「衆句」イコール「衆苦」に通じ、地獄絵と捉えることもできる。版元は錦盛堂。
月岡 芳年(つきおか よしとし、1839年4月30日(天保10年3月17日) – 1892年(明治25年)6月9日)は、幕末から明治前期にかけて活動した浮世絵師。姓は吉岡(よしおか)、のちに月岡。本名は米次郎(よねじろう)。画号は、一魁斎芳年(いっかいさい よしとし)、魁斎(かいさい)、玉桜楼(ぎょくおうろう)、咀華亭(そかてい)、子英、そして最後に大蘇芳年(たいそ よしとし)を用いた。
河鍋暁斎、落合芳幾、歌川芳藤らは歌川国芳に師事した兄弟弟子の関係にあり、特に落合芳幾は競作もした好敵手であった。また、多くの浮世絵師や日本画家とその他の画家が、芳年門下もしくは彼の画系に名を連ねている。ウィキペディアより
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