河鍋暁斎 暁斎画談 明治20年 Kyosai Gadan/Kawanabe Kyosai 1887

河鍋暁斎 暁斎画談 明治20年 Kyosai Gadan/Kawanabe Kyosai 1887
多色摺り版本、四冊と帙
暁斎は亡くなる2年前の明治20年に自らの生涯とこれまで学んできた様々な流派の絵画をまとめた内外篇からなる四冊組の版本『暁斎画談』を出版した。外篇に収録されている伝記は瓜生政和(うりゅうまさやす 1821-93、戯作者)の編集だが、挿絵はすべて暁斎が手がけている。内篇二冊には暁斎が学んだ絵画が紹介されており「狩野家手初」「鳥羽僧生ノ筆意信貴山縁起抜写」など先人のさまざまな筆意がまとめられている。さらに弟子コンダーから手に入れた当時としてはめずらしい西洋の人体図や骨格図などを「西洋画摸」として紹介している。一方、外篇二冊には暁斎の伝記がユーモラスな図とともに表されている。9歳の時に生首を拾い写生したという箇所では枝を使い一生懸命手を伸ばす少年暁斎の姿が、国芳塾では猫に囲まれながら学ぶ様子などがとらえられている。また、「暁斎氏門人へ寫生を教るの図」からは暁斎の指導方法や、鳥や兎などさまざまな動物を飼っていたことがうかがえる。伝記部分はやや誇張された箇所も認められるが、筆禍事件のあった店の名が明記されているほか、当時の牢獄がどのようなものであったかが分かる貴重な資料であることも確かである。明治時代前半に活動中の画家がこのような書を残すこと自体珍しいが、一部英訳付きで刊行されたことに驚かされる。(これぞ暁斎!ゴールドマンコレクション展覧会2017図録解説より)
河鍋 暁斎(かわなべ きょうさい、天保2年4月7日〈1831年5月18日〉 – 明治22年〈1889年〉4月26日)は、幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師、日本画家。号は「ぎょうさい」とは読まず「きょうさい」と読む。それ以前の「狂斎」の号の「狂」を「暁」に改めたものである[1]。明治3年(1870年)に筆禍事件で捕えられたこともあるほどの反骨精神の持ち主で、多くの戯画や風刺画を残している。狩野派の流れを受けているが、他の流派・画法も貪欲に取り入れ、自らを「画鬼」と称した。その筆力・写生力は群を抜いており、海外でも高く評価されている。ウィキペディアより
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