歌川国芳 稗史水滸伝 国字水滸伝 1829-1841 Kuniyoshi/Ehon suikoden/Kanagaki suikoden/1829-1841 #浮世絵#木版画#錦絵#和本#ukiyoe#woodblockprint#suikoden#水滸伝

歌川国芳 稗史水滸伝 国字水滸伝 1829-1841

Kuniyoshi/Ehon suikoden/Kanagaki suikoden/1829-1841

文政12年、通俗水滸伝を抄訳した合巻「稗史水滸伝」の刊行が始まる。挿絵の絵師には『通俗水滸伝』シリーズの好評をうけて国芳が迎えられた。嘉永4年(1851)に20編をもって中断するまで刊行は続くが題名は7編から『国字水滸伝』と改まる。挿絵は一貫して国芳が担当した。訳者は初〜6編が山東京山。京山は兄の京伝が「水滸伝」の抄訳の黄表紙「梁山一歩談」「天剛揚垂柳」(ともに北尾重政画、寛政4年)の二書を手がけている。京山の後7~9、13編を柳亭種彦、10~12、14〜17編を笠亭仙果、18~20編を松亭金水が執筆。版元は当初は6軒(鶴屋喜右衛門、江崎屋吉兵衛、蔦屋重三郎、西村屋与八、大坂屋秀八、川口正蔵)合同によるものであったが、変遷を経て最後の20編を刊行したのは大黒屋平吉。(国芳ヒーローズ水滸伝豪傑勢揃、太田記念美術館、2016より)

初版は色摺り(刺青部分等)、後に墨摺り。後摺りは彫りがあまい。

歌川 国芳(うたがわ くによし、寛政9年11月15日(1798年1月1日[1] ) – 文久元年3月5日(1861年4月14日))は、江戸時代末期の浮世絵師。号は文政初年から万延元年にかけて一勇斎国芳といい、後に彩芳舎(文政中期)、朝桜楼(天保初年から万延元年)、雪谷、仙真とも号した。歌川を称し、狂歌の号に柳燕、隠号に一妙開程芳といった。江戸時代末期を代表する浮世絵師の一人であり、画想の豊かさ、斬新なデザイン力、奇想天外なアイデア、確実なデッサン力を持ち、浮世絵の枠にとどまらない広範な魅力を持つ作品を多数生み出した。ウィキペディアより
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