渓斎英泉 武勇魁図会 初編、二編 弘化頃 Buyu sakigake zue/Keisai Eisen 1844-1848

渓斎英泉 武勇魁図会 初編、二編 弘化頃 Buyu sakigake zue/Keisai Eisen 1844-1848

渓斎英泉 武勇魁図会 初編、二編 弘化頃 Buyu sakigake zue/Keisai Eisen 1844-1848

画号は渓斎、国春楼、北亭、小泉、涇斎。亭号としては一筆庵(いっぴつあん)、旡名翁(むめいおう)、楓川市隠など数種類ある。戯作者としては可候(かこう)を名乗る。独自性の際立つ退廃的で妖艶な美人画で知られ、春画と好色本にも作品が多い。その一方で名所絵(風景画)も知られており、「木曽街道六十九次」では歌川広重と合作している。
江戸市中の星ヶ岡(現・千代田区永田町山王あたり)に、下級武士の子として生まれた。本姓は松本であったが、父の政兵衛茂晴が池田姓に復して以後、池田を名乗る。本名は義信20歳の時、父と継母が相次いで亡くなり、3人の妹を一人で養う身となって狂言作者の道は挫折を余儀なくされる。この時、先の水野家に仕える多くの血族からの支援もあったが、善次郎はそれをよしとせず、深谷宿にて菊川英二に寄寓、浮世絵師菊川英山の門人格として本格的に絵筆を執ることとなる。そして、ここからが善次郎の才能の発露であり、浮世絵師渓斎英泉の始まりであった。「国春楼」および「北亭」の号をこの時に使うようになる。
師の英山は4歳年上でしかない兄弟子のような存在ながら、可憐な美人画で人気の絵師であった。英泉は英山宅の居候(いそうろう)となって門下で美人画を学びつつ、近在の葛飾北斎宅にも出入りし、私淑をもってその画法を学び取っていく。また宋・明の唐画を好み、書を読み耽ることを趣味とする人でもあった。なお、北斎に先駆けて日本で初めてベロ藍を用いた藍摺絵(あいずり-え)を描いたのは、英泉である。ウィキペディアより
#刺青原画 #デザイン #絵手本 #和彫り
#浮世絵 #木版画 #錦絵 #ukiyoe

Leave a Reply

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out /  Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out /  Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out /  Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out /  Change )

Connecting to %s